2009年1月18日 (日)

会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか 星 亮一 (ベスト新書)

星亮一氏による、戊辰戦争と会津を巡る様々な作品の一つである。同氏の作品には随分親しんだ型だが、この「VS長州藩」というのは未読だった…用事があった土曜日、出掛ける前に覗いた書店で、本書に擦り寄られたような感じであったので思わず求め、土曜日の夕食時までに種々の“合間”を利用してぐんぐん読み進めて読了してしまった…

“VS”と題名に入れて、幕末期に会津と長州が争った経過を追っており、他方で長州の人達に関する紹介に紙幅を割いていて、なかなかに面白い。

戊辰戦争で長州は文字どおり「勝てば“官軍”」であった。ということで、会津側には“怨念”も当然ある。会津若松辺りでは、「山口県出身」ということになると、周囲の人達と良好な関係が築けないなどという話しが真顔で語られる位らしい。が、「何時までもそういうことになるのだろうか?」と著者は考えるようになっており、そういうコンセプトで本書を著わしたようである。

長州は“官軍”の主力を担っていたことは間違いない。高杉晋作の“奇兵隊”に代表されるような、なかなかに強力な戦隊を多数編成して勇戦している…会津を巡る東北方面や新潟方面での激戦で、結局会津などの勢力は粉砕されてしまう。そして「そこに進駐してやりたい放題…」というものの「先頭に立っていた」のが“長州”という“イメージ”が非常に強い。本書はそれに関しても丁寧に検証することを試みている。

本書が導き出した、会津の鶴ヶ城が落城した辺りの“官軍”を巡る検証の結果だが、意外なものであった…「落城時点で長州の主力は会津に到達することが叶わなかった…」という話しで、「長州憎し…」が多分に“イメージ”であるという話しなのだ…

この当時の長州の主力部隊は、後年権勢を振るう山形有朋が率いていた、新潟方面に展開していた軍勢であった。新潟方面には、財政再建の成果で軍備を増強していた長岡の家中が在った。長岡には河井継之助という人材が在った。彼は新潟方面に侵入した長州側と折衝し、会津側への投降勧告を行って鶴ヶ城攻撃を避けようと試みた。が、山県の副官達が河井の提言を却下し、結果として長岡での死闘が発生した。長岡の攻防では、河井自ら新兵器のガトリング砲を操って勇戦したらしい…そんなことで長州側は長岡で苦戦を強いられ、会津若松に到達した時点で出番は殆ど無かったというのだ…

落城時点で「現場に居なかった長州」…それでも“怨念”の対象になっている長州…多分に江戸の幕府本営が降ったにも拘らず「会津討つべし」と旗を振ったらしいということ、京都で無茶をするので“役目”によってそれを抑えた会津への“逆恨み”で酷い目に遭わされたという無念の故であろう…

何か会津若松への旅行が切っ掛けで深まった戊辰戦争関係の事への関心が、本書を切っ掛けに更に広がった感である…

2009年1月16日 (金)

会津士魂〈1〉会津藩 京へ 早乙女貢 (集英社文庫)

文庫本で“上・下”の2冊程度という小説は珍しくないが、“全13冊”という“大河小説”と呼ばれる“超長編”は珍しい。「そんなに長い?!」と手にして読む気力が殺がれる場合さえありそうだ…更に、似たような大部の“続編”まで在り、作者が約30年に亘って書き続けた作品ということになると、何か恐ろしげな感さえ抱いてしまう…「敷居が高い」という作品かもしれない…

「本との出会い」というものは“偶然”を装いながらも、ある程度は出会う人の中で“必然性”があるのかもしれないが、この恐ろしげな印象さえ与え、「敷居が非常に高い?」と感じられる超大作の第1巻にとにかくも出くわしてしまった…

本作は、会津侯が“京都守護職”という役目を幕府から命じられて請け負うことになる辺りから説き起こされる大河ドラマである。第1巻はこの“京都守護職”を受ける、受けないで家中の意見が分かれ、寧ろ「断った方が…」という情勢になりながらも受けることになってしまった辺りが綴られ、新撰組が登場する切っ掛けとなった浪士組が江戸・京都を往復し、この浪士組の仕掛け人であった清河八郎が江戸で斬られるという辺りまでを扱っている。

本作には会津の家中の人々、縁の人達、同時代の様々な人々が登場する。実在人物なのか、想像上の劇中人物なのか判然としないが、何か“主人公”的な立ち位置に、京都守護職の役目のために京都に入る会津の若き侍、鮎川兵馬が居る。劇中に登場する多彩な人達の目線で“激動の時代”が綴られているが、要所要所はこの「兵馬の動き」でつなげられている。

“小説”は通常、「劇中人物達の何れかの“目線”で、作中の出来事、時代、劇中人物達の想いなどが語られる」体裁が積み重ねられるものであると思う。が、本作は「誰の“目線”か判然としないもの」が何となく目立つ。“神様目線”とでも言うような、「作者自身の地の文」というようなものである。

本作の「作者自身の地の文」だが、強い調子で読み手に訴えかけるような口調を感じる。そうした部分だが、戊辰戦争で最終的に会津に“汚名”を着せた側への“かなり強い非難”と言ってしまって差し支えない“批判的言辞”が殆どを占めている。これに関しては、「教科書等で伝えられている“明治維新”以降の歴史とは一体何なのだ?!」という嘆き、抗議というように感じた。更に「日本の人達にとっての、所謂“近現代”とは何だったのか、足下をもう一度じっくり見て考えてみるべきではないか?!」という痛切な訴えのようにも思える。そしてその“訴え”は、私自身にはやや響く…

「会津に関心…」という中で本屋を覗くから、何やら最近流行っているのか、店主の好みなのか、色々な時代物の小説が収録された文庫本が平積みされていた中でこの本を見付けてしまった…“関心”は「200年前に会津の武士が稚内にまでやって来て、樺太にまで足跡を残したらしいが、どんな所から来たのか?有名なお城も見てみたいし…」というような思い付きが切っ掛けで沸き起こったものだった。その関心が私を旅へと誘い、「触れたものを少し深く学びたい」という気を起こさせ、結果的に色々と関連書を読む羽目になっている。ここまでに至った理由の一端について、本書に触れることで気付いた気がする…

非常に俗な表現になるかもしれないが…私には、会津侯や家中の人々が「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」のような気がしてならない。彼らは、当時の常識と言うのか、倫理観と言うのか、そうしたものに照らして決しておかしい訳ではない、寧ろ妥当性が高いと思われる価値観で一貫して行動しようとした人達だった…周囲に迫られて大変に困難な役目を引き受け、懸命に取り組み、その努力が認めれれて名誉さえも得る場面もあった。が、「相手に“賊”のレッテルを貼り合う」という当時発生した幕府側と反幕府側との競り合いの中で、一番最後に一番大きな“レッテル”を貼られる羽目になってしまったという訳である。ノンフィクションである史伝や、フィクションである小説、或いはそれらの中間のような入門書というようなものを通じて我々は“歴史”に触れる訳だが、“歴史”はこうした、例えば「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」というような人間の類型を示してくれる…

「思いきり“馬鹿”を見る羽目になった“正直者”」という“類型”だが、或いは私達が生きているこの時代には、存外に多いような気がしないでもない。或いはそうした想いの故に私自身は「会津に捕えられてしまった」のかもしれない…

本作の主人公的立ち位置に居る兵馬である。「武士の矜持を大切に」というような会津の家中での価値観を尊んでいて、真面目に仕事をしようとする。彼は色々な意味で発展途上の健全な若者である。この兵馬の対極に、彼の父と妹を傷付けて脱藩してしまい、時勢に乗って要領良く世の中を渡ろうとする三田村新蔵という“敵役”が居る。或いはこの新蔵は、その“目線”である種の“反語”として「作者の訴え」を劇中で語るポジションかもしれないが…

兵馬と新蔵の両者が、激動の時代の中でどういう運命を辿るのか?何か「続き」が非常に気になり始めている…第1巻を読了したことにより、「高かった敷居」は既にかなり低くなった…

早乙女 貢
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2009年1月14日 (水)

幕末新撰組(新装版) 池波正太郎 (文春文庫)

久々に“新撰組”関係の小説を愉しく読了した。独特な“江戸情緒”溢れる人気活劇を多く世に問う池波正太郎が描く“新撰組”の物語をリードする主人公は“江戸っ子”の永倉新八である。

永倉新八は“松前脱藩”ということになっていて、幕末の動乱の後は大正時代まで生き延び、人生の終焉は北海道の小樽で迎えている。札幌の、札幌駅の北側に広がる北海道大学の敷地には、この永倉新八が剣術の師範として学生達に稽古をつけていたということを記した案内板もあるのだ…(本作の最後の方でも、北大に行って学生に剣術を教えた話しには触れられている…)

というように北海道に縁のある人物ではあるが、彼は“江戸っ子”である。江戸時代の大名は領国の他に、将軍の膝元である江戸に屋敷を構えていた。その江戸屋敷で様々な事務に従事する家臣達が居る。彼らは終生江戸で仕事を続け、その仕事は代々受け継がれる。永倉新八の父は松前の江戸屋敷で仕事をしていて、終生領国の蝦夷地松前を見たことが無かった…息子の新八も幕末の動乱を経て北海道に住むようになるまでは「江戸の屋敷で生まれ、江戸で育った」訳である。

本作を綴った池波正太郎も“江戸っ子”で、強い江戸への思い入れが彼に独特な“江戸情緒”溢れる人気活劇を産み出させたのであろうが、本作にもそういう思い入れの片鱗が窺える。

本作の永倉新八は物事に拘らず、“生一本”に生きようとする青年剣士である。幼少期は度し難い程の悪戯っ子―本作の冒頭辺りに、かなり強烈な悪戯が出て来る…―だが、剣術修行を始めるとそれにのめり込んだ。やがて近藤勇の試衛館の居候になり、“浪士組”に参加し、“浪士組”が“新撰組”として勇名を馳せるようになると、永倉新八も幹部として大活躍をする。

本作の永倉新八は近藤達とは“同志”であると自らを規定し、そういう枠で「剣の腕」で身を立てるべく奮闘するというポジションを終始崩さない。これに対して、新撰組に居る周囲の面々は立場が変わっていく中でどんどん変わる…その変わりようを、却って冷徹に思えるまでに純朴に永倉新八は見詰め続けている…

初期の新撰組にあってその蛮勇が知られた芹沢鴨は、本作では「複雑な生い立ちの中で、自分で自分を御すことが叶わない哀しい男」である。近藤勇は本作では「周囲の評価や地位が高まる中で初志を失ってしまう哀しい男」である。土方歳三は本作では「役目に徹する人当たりの悪い男ながら、密かな使命感のようなものを内に秘めている人物」である。これらに対して、本作の永倉新八は「激動の時代を飄々と歩み、時代を達観しながら、奔放でいて熱いものを秘め続ける」というような雰囲気が一貫しており、松前家中で人望があった父のお蔭もあり、近藤らと袂を分った後に潜伏期間を経て、松前家の手助けを受けて北海道へ逃れて生き延びる…哀しい男達や、周囲が理解し難い内向きな男という人達の間で、永倉新八はどういう運命になろうとも溌剌と自分らしく生きている…

本作の永倉新八は議論が得意な訳でもないが、何度か出て来る台詞の中にハッとさせられるものがある。

「互いに喧嘩はしていても、外国に色眼をつかいすぎてドジをふむようなまねはしないよ。徳川にも薩長にも、馬鹿もいるかわり、偉い奴もいるらしいからねえ」

上記は、新撰組を離れる決心をする藤堂平助に想いを打ち明けられた永倉新八が吐く台詞の一部だ…幕末の戦乱は“賊”という「レッテルの貼り合い」という側面があるようにも思えるのだが、本作の永倉新八は「渦中に在りながらも、渦中を離れた目線」を有し、「どのようなことになろうとも“偉い奴”が国や人々を巧く導くに違いない」と確信している…これが凄いように感じる…

私が手にした文庫本は4年程前に第1刷が出た新装版だが、本作自体は昭和39年頃のものらしい。1964年だ…現在とはかなり様子が違う時代に世に問われたものである…が、この作品は「右肩上がりの成長」が見込めたような当時よりも、「混迷?」という感の今の時代にこそ広く読者を得て然るべき作品のような気もしないではない。「混迷?」の中でこそ、個々人には“本作の永倉新八”のような“生一本”なものが必要な気がするからだ…

池波 正太郎
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2009年1月11日 (日)

落花は枝に還らずとも―会津藩士・秋月悌次郎 (上・下) 中村 彰彦 (中公文庫)

会津若松駅周辺の書店で見掛けて気になっていた本であったが、その場では入手しなかった…そして会津関係のことが“マイブーム”という様相を呈し、何冊かの本を読了したことで、本作の主人公である秋月悌次郎という人物が気になり、入手してみた。そして休日を利用し、朝から夜まで断続的に読み続け、2日間で一気に読了し、爽やかな読後感に浸っているところである…良作に出会うことが出来た!!

この種の作品は「歴史を題材とした小説」と呼ぶべきものと、「小説の体裁で語られる伝記・歴史」と呼ぶべきものに大雑把に大別出来るような感じがするのだが、本作はどちらかと言えば後者である。秋月悌次郎は幕末の会津家中にあった文官である。その学識や、文才が評価され、“京都守護職”として京都で活動した家中に在って、“公用方”として諸藩との交渉、情報収集・分析に当たったことで知られる人物である。彼の活躍、生い立ち、会津を巡る戦いのこと、明治時代に入って教育者となったことなど、波乱に満ちた人生を朗々と綴り切った力作である。

「主人公が活躍する華々しい合戦の場面」がある訳でもない…合戦場面でも、主人公の秋月悌次郎は陣地に次々と届く戦況を色々と考えたり、上役に意見を求められて具申をしたり、という具合である。幾つか“盛り上がり”があるが、会津の戦いの幕引きに奔走する姿は印象に残る。そして、下巻の終盤の晩年の教師生活の様子も印象的である。

才能溢れ、意図せずに大きな事を成し遂げてしまうような、飄々した印象を与える主人公だが、どうしたものか左遷されてしまう経過がある。その中で幕末の蝦夷地(北海道)の話しが出て来る。その辺りで、多少当時の北海道のことが判る叙述があり、その部分も興味深い。その蝦夷地の場面でも面白い活躍があったりするのだが…

その文才が家中で知られていた秋月悌次郎だが、随所で漢詩を創っている。それが本作でも引かれているが、何れもなかなかに素晴らしいものである。

本との出会いには“タイミング”というものがある。本作とは、鶴ヶ城の城下を歩き回り、幕末の会津に関することを紹介した本を何冊か読み耽った後に出くわした訳だが、絶好のタイミングであったと思う。そういうことを度外視しても、本書を通じて“秋月悌次郎”と出会うというのは素晴らしい体験であると思う。



2009年1月 6日 (火)

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 星 亮一 (中公新書)

札幌で読み始め、旭川への移動の車中で読了した一冊である…

こういうような、「ある場所で発生していた史上の事件」を紹介、解説するものについては、その場所を訪ねたり、近くを通っていたりすると多少入り込んで読むことも出来るように思う。これに関しては、丁度会津若松の鶴ヶ城を訪ねたばかりだったので、かなり入り込んで読むことも出来た…

上述のようなことの他方、読書という営みに関しては、本の中で扱っている場所を訪ねていなくても「行ってみたい…」という思いが沸くということもある。本書はその両方の性質を備えている…

戊辰戦争の鶴ヶ城を巡る戦いは凄惨なものであったという…劣勢を強いられ、行き詰まって自ら命を絶つ人達が多数というような状況であった。本書は、そういう状態になってしまったことについて、“多少の手厳しさ”も交えて詳しく解説している。

“奥羽越列藩同盟”を結成して政府側に対峙し、巧くやって“東北政権”さえも確立出来るかもしれない態勢を組みながら、後世になって考えれば「失策に次ぐ失策」と言わざるを得ない戦闘を重ねてどんどん戦局が悪化してしまい、“同盟”も瓦解してしまった…鶴ヶ城の戦いそのものについても、「もう少し“備え”のやり方もあったのでは?」という事情が、本書には詳しく出ている…

本書の末尾に、敗れた会津側はかなり最後の方まで「最後は幕府が…」という「“過大な依存心”があったのかもしれない」ということが指摘されている。これは考えさせられた…

興味を覚えて会津若松を訪ね、更に興味が深まって会津に関するものを色々と読んだが、それを通じて「歴史を学んでみようとすることの面白さ」のようなことを“再確認”出来たような気がする…

2009年1月 3日 (土)

幕末の会津藩―運命を決めた上洛  星 亮一 (中公新書)

“京都守護職”…幕末の歴史を紹介する本や、その時代を背景とした小説、映画、テレビドラマなどではなかなかに頻出する、当時の役職名である。これはどうも「不穏な情勢になっていた京都に派遣された治安維持軍の司令官」のことらしい。そして幕末期に特設された役職だという。

私は以前から新撰組に関心があって、関係の本を読んだり、映画やドラマも愉しんでいるが、その中にはこの“京都守護職”という用語は必ず出てくる。何故なら、新撰組は“京都守護職”の“御預”(おあずかり)ということ―配下のようなもの―になっていたからである。そういう訳で、新撰組関係の物語では幹部達を呼んで「大儀であった…」などと褒章を授けるお殿様が時々登場する。そのお殿様こそが“京都守護職”であった会津侯である。(一寸話しが逸れるが、最近読んだ新撰組関係の小説では『輪違屋糸里』というのが非常に面白かった!!作中でヒロイン達が“会津”を「あいづ」ではなく「かいつ」と呼ぶ場面があるが、そうした呼び名も知られていない京都で会津の御家中が奮戦した様が本書のテーマだ…)

そういう具合に、“京都守護職”という存在に何となく馴染みはあるのだが、他方で会津侯の人柄や、彼の下で活躍した会津の人達の物語等には意外に馴染みが薄かったことに思い至った。更に最近の旅行で会津若松を訪ねたことが切っ掛けで、会津が“マイブーム”(やや旧い表現で恐縮だが…)になって『会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎』『奥羽越列藩同盟』を相次いで読了してしまい、余勢で更に本書にも手を出した…非常に興味深い内容だった!

江戸時代、幕府は各地の大名に土木工事の施工や、様々な役目を果たすことを申し付け、大名達は資金を工面し、人員を割いてそれらを遂行した。私が会津に関心を寄せる切っ掛けとなった“北方警固”もそういうような、幕府が大名達に命じた役目の一つだった。そして、会津の武士達が稚内や樺太に足跡を残した“北方警固”から半世紀余りを経て、今度は“京都守護職”という厄介な役目が会津侯の下へ…という次第だ…

本書は、会津侯が“京都守護職”を引き受けることになった辺りから、苦労しながら京都で活躍をして孝明天皇の信任を勝ち取り、辞任して会津若松へ引揚げようとして慰留され、最後は戊辰戦争に突入というような辺りまでの通史が、会津侯を支えた家中の人達の様子を交えて詳しく紹介されている。

江戸幕府が大名を任命したような役職というものは、現代風に考えると、「それなりに大きな複数のセクションを一手にこなす」ような雰囲気がある。例えば時代劇に頻出する町奉行は、「市長兼警察署長兼裁判長」のような雰囲気さえあった。会津侯が引き受けた“京都守護職”と言えば…敢えて私流にまとめると「軍事衝突に即応する実戦部隊の維持(兵員の衣食住確保、装備の確保・更新)とその動員」、「“テロ特捜班”と“テロ鎮圧チーム”を兼ねた新撰組への支援・協力(資金や便宜の提供・応援要員の派遣など)」、「各大名の下で動く人々からの情報収集」、「江戸の幕府との連絡・調整」、「皇室との関係の良好化・強化」などなど、なかなかに途轍もない…そして会津侯は領主であるので、あの鶴ヶ城の御城下や、美しい山間に田園が広がる領地の経営もしなければならない…

会津は格式を重んじる家風であったらしいが、“京都守護職”を引き受けた当時の会津侯松平容保(まつだいらかたもり)は、当時としてはオープンな心優しき人で、才気溢れる若手を重用し、難しい情勢に真摯に対応していたようだ…松平容保侯は写真を残していて、幕末の歴史を紹介した本で何度も見たことがある。本書にもそれが出ている…「多少神経質そうな、細身の青年」という印象を与えるものだが…彼は上述したような多岐に亘る課題を抱えて神経を擦り減らしていたのか、頻繁に体調を崩しながらも、家中の働きが天皇に認められたことに感涙しながら努力を続けるような、或る意味で「なかなかの器」だった様子が本書の記述から伺える…

歴史は勝者が綴るものかもしれないが、こうした“敗者目線”の歴史もあり、それもまた興味深いものだ…何かに興味を覚えて旅をすると、更に興味が深まって書物を紐解くことがある。私は今そういう状況下にあるのだが、そうしている中で「再訪…」という思いも高まる。何かこの年末年始は“面白い”本と出合うことが叶っている感じだ…

2009年1月 1日 (木)

奥羽越列藩同盟  星 亮一 (中公新書)

何か“マイブーム”(旧い表現だが…)な奥州に関するものということで、年末年始の徒然に、意外に力が入って読んだ一冊だった…

歴史には「よく知られていること」、「それほど知られていないこと」が重層的に在るもののように思うのだが、本書は後者を我々に詳しく示してくれる好著であると思う。

“奥羽越列藩同盟”と聞くと、「戊辰戦争で“会津を討て”という話しになった際、“会津を支援しよう”と立ち上がった幕府擁護の諸藩のことで、まとまって巧く戦えた訳でもなく、“時代が違う軍隊同士の戦い”という様相で明治政府側にアッサリと倒されてしまった」という程度のことを思い浮かべたのだが、本書を読むと「そうでもない!!」ということがよく判る…そして、この同盟に“夢”を賭けて奮戦した多彩な人達の姿が見えるようになる…本書は「発見に満ちた読書」という時間を与えてくれる筈だ!!

“奥羽越列藩同盟”を支えた奥羽や越後の各家中には、知られていたり、知られていなかったりの落差が大きいものの、当時の基準で“一級”、“一流”と言って間違いない、教養も経験も豊富であるなかなかの人物達が居た…本書ではそういう人達にライトを当て、色々と紹介しているのだが、本書の最初の方と最後の方で印象的な型で登場する“玉虫左太夫”(たまむしさたゆう)は記憶しておきたい…

玉虫左太夫は仙台の人で、訪ねた先での見聞を綴る文章が素晴らしいなど、その能力が知られた人物であった。外国奉行の随員として渡米をも経験し、帰国後は藩校(大名の家中が抱えていた、若者や子弟を教育する機関)の教授を務めていた。彼は米国流の“共和政事”を理想とし、“奥羽越列藩同盟”について、会津を支援する軍事同盟に止まらず、「東北日本の独自政権」までも視野に入れていたらしいのだ…実際、崩御した前帝の弟である法親王(僧籍に入っている皇子)を擁立する動きもあったようだ…

一寸紹介した玉虫を含め、各地の俊英達が「薩長は私怨で戦争をやっている!何とか止めて貰いたい。将軍が帝に政権を返上した以上、新たな理想の下で良い国を…」と奮戦したが、一枚岩ではなかったがために、打つべき手が打たれなかったり、余計な行動があったりで、苦戦に次ぐ苦戦で敗れてしまい、彼らはそれぞれの運命を辿る…

敗れてしまった俊英達の中には、気の毒な程に過酷な運命が待っている人達も在り、それにも言及されている。しかしそれでもなお、「非常に力が沸く」ような読後感を残してくれた一冊である。

星 亮一
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2008年12月30日 (火)

会津藩はなぜ「朝敵」か―幕末維新史最大の謎 星 亮一 (ベスト新書)

時々本屋を覗くと、“タイムリー”な本に巡り合う。“タイムリー”というのは「流行り」というよりも「丁度、自分の中で関心が高まっていた事案に関連するもの」という意味合いで用いたつもりなのだが…東北を旅行し、写真も多数撮って戻ったところだったのだが、目的地が“会津藩”の御城下だった会津若松だったのだ…歴代の領主が居城とした鶴ヶ城や、幕末の歴史では忘れ難い“白虎隊”のエピソードで知られる飯盛山を見ているので、「会津…」というような本が在ると、つい目を向けてしまう…

明治維新の経過、或いは“戊辰戦争”については、積み上げられた主要な事実を歴史の教科書で学んではいる。が、“歴史”というものは「勝者が綴る」色彩が濃い物で、差別的にも聞こえる“朝敵”という言葉で敗れた側が表現されているのがこの頃に関する“歴史”となっている…

会津若松の地元では、戊辰戦争に関して「抵抗戦を行う意図は無く、会津侯は鶴ヶ城で“謹慎”ということにしていたが、“会津討つべし”と戦端が開かれてしまい、止むを得ず戦った」というようなニュアンスの紹介がなされていた。

将軍と特別な関係にあった藩祖が居た歴史が在り、“松平姓”と“葵の紋”を許された名門である“会津”は矜持溢れる武士の集まりであった。子弟の教育にも力が入っており、一定の教養を備えた律儀な人達が多かった。彼らは動乱の京都に出向いて忠実に幕命を履行したが、後に勝者となる人達に怨恨を抱かれてしまう…史上の人物には様々な毀誉褒貶があるのだが、“幕府”の“象徴”たる“将軍”が「斃れることを回避」してしまったがために、会津は「時代の生贄」のようにされてしまった、というような話しが本書には詳述されている…

随分以前から、時代の大きなうねりを創り出したような印象を与える“維新の志士”よりも、「真っ直ぐに“士道”を追求しようとした」というような印象の“新撰組”やら、箱館戦争を指導した榎本武揚のような人物に興味を覚えないではなかったが、何か最近は“会津”に非常に関心が高まっている…

2008年12月28日 (日)

ロシアはどこに行くのか─タンデム型デモクラシーの限界  中村 逸郎 (講談社現代新書)

変転するロシアの情勢…話題は尽きないのであろうが、「プーチン大統領の末期からメドヴェージェフ大統領の登場」という時期に的を絞り込んでの解説ということになる本書は、なかなか読ませてくれた…

“タンデム”という用語で、「前大統領の首相起用を公言して登場した現職大統領」という、やや不思議な体制を定義して解説している。

正直なところ…「前大統領の首相起用を公言して登場した現職大統領」というのは判り悪いが、本書を読むと「なるほど…」と思えるようになる。

本書に関しては、色々な所で出ているものを集めるというのではなく、寧ろ筆者自身の見聞を綴っている部分が多く、これが活き活きとしていて面白い。

フィンランド 豊かさのメソッド 堀内都喜子 (集英社新書)

外国の事例に関して、そこでの経験を軸に綴ったもの…率直に言って“両刃の剣”のようなもののようであると想う。結局のところ、外国の事例を幾ら積み上げても「だからどうしたの?」は免れない…他方「そういう考え方もあるのか!?」も非常に大きい。私はこの種のものに触れる場合、寧ろ後者の考え方が強い方だとは想う。

フィンランド…一般には馴染みが薄いのだが、私自身は何度か立ち寄った想い出もある土地だ。だから、彼の地の気候風土に関する描写に関しては非常に良く判るのだが、社会制度や人々の考え方に関しては驚くことも多い…

フィンランドのような北の小国に関して考えるという営みだが、私は日本の“地方”というレベルで社会や暮らしの新しい在り方を考えたいと言うような場合には、非常に参考になる部分が多いような気がしている。

最近時々想うのは、日本は“単線”的な社会で、フィンランドのような小さな国は“複線的”な社会のような気がする。日本よりも小さな国の方が「人々が途中でやり直す余地」が大きいような気がする。本書を読むと、そういう想いが強まる…

本書に関しては、教育に関することにも随分と紙幅が割かれている。最近は“教育”が論題になることも多いような気がするが、本書はなかなか参考になると思う。

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