会津藩VS長州藩―なぜ“怨念”が消えないのか 星 亮一 (ベスト新書)
星亮一氏による、戊辰戦争と会津を巡る様々な作品の一つである。同氏の作品には随分親しんだ型だが、この「VS長州藩」というのは未読だった…用事があった土曜日、出掛ける前に覗いた書店で、本書に擦り寄られたような感じであったので思わず求め、土曜日の夕食時までに種々の“合間”を利用してぐんぐん読み進めて読了してしまった…
“VS”と題名に入れて、幕末期に会津と長州が争った経過を追っており、他方で長州の人達に関する紹介に紙幅を割いていて、なかなかに面白い。
戊辰戦争で長州は文字どおり「勝てば“官軍”」であった。ということで、会津側には“怨念”も当然ある。会津若松辺りでは、「山口県出身」ということになると、周囲の人達と良好な関係が築けないなどという話しが真顔で語られる位らしい。が、「何時までもそういうことになるのだろうか?」と著者は考えるようになっており、そういうコンセプトで本書を著わしたようである。
長州は“官軍”の主力を担っていたことは間違いない。高杉晋作の“奇兵隊”に代表されるような、なかなかに強力な戦隊を多数編成して勇戦している…会津を巡る東北方面や新潟方面での激戦で、結局会津などの勢力は粉砕されてしまう。そして「そこに進駐してやりたい放題…」というものの「先頭に立っていた」のが“長州”という“イメージ”が非常に強い。本書はそれに関しても丁寧に検証することを試みている。
本書が導き出した、会津の鶴ヶ城が落城した辺りの“官軍”を巡る検証の結果だが、意外なものであった…「落城時点で長州の主力は会津に到達することが叶わなかった…」という話しで、「長州憎し…」が多分に“イメージ”であるという話しなのだ…
この当時の長州の主力部隊は、後年権勢を振るう山形有朋が率いていた、新潟方面に展開していた軍勢であった。新潟方面には、財政再建の成果で軍備を増強していた長岡の家中が在った。長岡には河井継之助という人材が在った。彼は新潟方面に侵入した長州側と折衝し、会津側への投降勧告を行って鶴ヶ城攻撃を避けようと試みた。が、山県の副官達が河井の提言を却下し、結果として長岡での死闘が発生した。長岡の攻防では、河井自ら新兵器のガトリング砲を操って勇戦したらしい…そんなことで長州側は長岡で苦戦を強いられ、会津若松に到達した時点で出番は殆ど無かったというのだ…
落城時点で「現場に居なかった長州」…それでも“怨念”の対象になっている長州…多分に江戸の幕府本営が降ったにも拘らず「会津討つべし」と旗を振ったらしいということ、京都で無茶をするので“役目”によってそれを抑えた会津への“逆恨み”で酷い目に遭わされたという無念の故であろう…
何か会津若松への旅行が切っ掛けで深まった戊辰戦争関係の事への関心が、本書を切っ掛けに更に広がった感である…
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